インコ

自立生活センター東大和

2007 ASIA TRY in KOREA 報告書(5/5)

TRY参加者の感想

 

TRYに参加して
O.R.

今回、私がTRYに参加した理由はたくさんありますが、大きな理由の一つとして、TRYに参加することで今後、自分自身が変れたら良いなぁと思ったからです。

初海外、初野宿、初韓国って感じで、何もかもが初めてのことばかりでした。
不安はなかったと言ったら嘘になりますが、正直、好奇心の方が上回っていました。逆に、両親や親戚、友達の方が心配していました。
TRYまでの募金活動やTRY会議も全てが経験することばかりでした。
そういった経験も自分にとても意味があることだと思います。
実際、がむしゃらになって頑張っていた自分がいました。

8月に入り、日が近づくにつれドキドキ、ワクワクして日に日に実感していました。韓国に行っても病気にならないだろうか、とか、食べ物は口に合うのか、など色々と考えるようになってきました。
足手まといにならないだろうか...なども考えていました。

そして、TRYが始まり初日はとても疲れてしまいました。
けれど、意外と体力的にも精神的にも思っていたより疲れませんでした。一日一日がとても充実していたからだと思います。
どんなに辛くても、笑顔を忘れないでいました。
そして、一日が終わればメンバーのみんなと一緒に話しをしたりしてたくさん笑っていました。
いつのまにか国境を越えて色々な人と仲良くなっていました。
とても嬉しかったです。

TRYに参加したことで、自分自身、変わったと思います。
何事も「TRY!!」することの大切さは、参加する前から理解していましたが、今回言葉の意味をTRYを通じて改めて実感できました。
私は、これからの人生「何事もTRY!!TRY!!してみなきゃわからない!!」と言う気持ちで生きていきたいと思っています。

TRY!!することの大切さを学びました。

本当に、ありがとうございました。

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2007年TRYに参加して
K.Y.

韓国ソウルで、アジア11カ国、障害者88人、介助者110名が参加し、9コースに分かれ、ソウルをめざしアジアの障害者の自立を訴える野宿旅が始まりました。
私が参加したコースは水原(スウォン)。呼吸器を必要とする4名。(2名は筋ジストロフィー、2名はSMA、内1名は吸引が必要)を含め障害者10名、介助者14名、韓国側スタッフ3名で活動しました。
先ずは移動が大変。飛行場から成立会館までバスで1時間のところ、電動車椅子班は地下鉄で4時間もかかってやっと到着しました。エレベーターには車椅子が2台しか乗れないのと、ドアがすぐに閉まらないので、予定より大幅に遅れます。
翌日からの1日15〜16km.の移動も、パトカーが先導してくれますが、吸引や車椅子が動かなくなったりで、通常の倍は時間がかかりました。
朝10時に出発し、夜8〜9時に宿泊所に着く(呼吸器班は電源が必要なので、教会や障害者施設に泊まりました)
21.8km.歩いた日は夜中の12時半までかかりました。あまりに長距離を移動するので、車椅子のバッテリーが持たないので途中から介助者が押すことになりました。車椅子だけで90kgあるのですから、坂の多い韓国では大変な努力が必要でした。
はるか海を渡って来た参加者達は、自分達で事業所を立ち上げたり、立ち上げようと考えている人、又は自立生活センターで活躍している人が多かったです。
いつも先頭を手動車椅子で移動している筋ジストロフィーの方は、前回2001年にも参加されました。昨年あたりから病気が進行し気切はしないで、呼吸器を常に鼻に装着し生活しておられます。
道が悪く途中で車椅子が転倒するというアクシデントがありましたが大事に至らないでホッとしました。
韓国から参加のチェホさんは脳性麻痺。車椅子を押してバランスを取りながら、疲れると電動車椅子につかまり引っぱってもらっていました。途中で警官に足手まといのように言われ、車椅子に乗るように強要されましたが、誰も「乗ったら?」とは言いませんでした。逆に自然に車椅子を押して下さる警官もいて、私たちは嬉しくなり、みんなで写真を撮りに行きました。
3日目は前記の筋ジストロフィーの藤原さんが韓国から参加のやはり同じ病気の2人に今までの経緯を通訳を通して話していました。1人は19歳、1人っ子で2日目に発熱し、親と離れるのが心細いようで少々めそめそしていましたが、最後のパレードの時にはご両親と友達3人が参加し、顔も締まり、やりとげた満足気な姿でした。
ゴールの清渓川広場に各コースの人々がどんどん集まってきました。その中に東大CILの所長の田渕さんが感きわまって涙した姿を見た時に皆も(私も)ウルウルしました。
思えば5月頃から募金活動を立川、新宿で行い、2〜8万円どちらかといえば2〜3万円しか集まりませんでしたが何十回行ったことでしょう。
企業周りではスポンサーが付きませんでした。過去の活動の成果が明確に残っていない事が大きな原因でした。
大久保の韓国街に行き協力を訴えましたが募金まで結びつきませんでした。
全国のイベントを終え、そして今から次回への活躍がはじまります。障害者はこれから増え続けるので、他人事と思わないできちんと受け止め輪を広げて行きたいと思います。

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ASIATRYを体験して...〜生の歩みと大切さ〜
A.D.

TRYとは、簡単に言えば自立している障害者の方が、施設で生活を送っている障害者の方に、自分の姿を見せて施設利用者に、施設をとびだし自立した生活を送ろうと呼びかける動きと、自分自身も挑戦する、という事です。動きとしては、TRY参加者が、自立を訴えながら、8日かけて約100キロ歩きぬくというイベントです。1日約15キロ近く歩きました。自分は、こういう世界を見た事もなくて、自分の全く知らない世界で、最初はすごく戸惑いました。
感じたことは、障害というのは、身体が動かせる、動かせないじゃなく、また、言葉が上手く話せる、話せないではなく、「生きる歩み、生きようとする歩み」それをやめた時、自分自身があきらめた時、それが本当の意味での「障害」なんだと思った。手が使えないのなら頼めばいい。足が使えないのなら車いすを押してもらえばいい、自分で歩みをやめた時、それが「障害」なんだ。
TRYに参加していた方々は、その歩みをやめようとしている人は誰一人いなかった。その強い気持ちは見ているだけで、はっきりとわかる。
それを感じられたのは、多分、自分も一緒になって歩いているから、TRYをしたからだと思う。
TRYに参加して良かった。いまは心からそう思える。
TRYで感じた事、それは、不器用でも下手くそでも生き抜くこと、生の歩みを止めないこと、それが大事なんだと感じた。

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TRYを終えて
S.Y.

韓国のTRYメンバーのみなさん、先日のTRYでは一週間お世話になりました。
韓国に行く前までは、海外に行った経験が無くコミュニケーションの問題や通貨の問題など不安なことがたくさんありました。特に不安だった事が、コミュニケーションの問題で韓国語をしゃべる事が出来ないのでどうしようかと思いながら、韓国に行きました。
韓国では、メンバーさんに温かく迎えてもらえてうれしかったです。
ヤンピョンコースでは田舎の道で坂道が多く、雨の日が多くて運転するのも一苦労でした。期間中には駅のエレベーターが目の前で故障したり、階段昇降機を自分で操作したり、地下鉄に乗る時に駅員さんがいなかったり、地下鉄に無料で乗れたりと、この他にも驚くことがたくさんありました。不安だった会話のほうも、韓国語の本と英語のジェスチャーを交えながら伝えることができました。
この一週間の活動で一番感じたことは、日本はとても恵まれているなと思いました。今までは設備が整っていて当然というような気持ちがありましたが、これからは、感謝しながら利用したいと思います。
最後に、今回の活動に協力してくださった方に感謝したいと思います。

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ぼくは、かんこくにいって、おもしろかったです。
かんこくにいったら、からいものばかりたべてたけど、おいしかったです。
かんこくにいって1番おもしろかったのは、まくらなげでした。
しょうがいしゃの人と、あるいておもしろかったです


I.Y.

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普段、グループホームの職員をしている私は、車椅子を必要とする人たちと関わる機会はなかったが、今回トライに参加することで、車椅子で生活する方たちと生活を少し共有することができた。
一日目のコースは自分が歩くことで精一杯だった。日ごろの運動不足がたたって、足腰の重さに加えて、頭痛、肩こりを感じこのままでゴールにたどり着けるのだろうかと思った。当然、他のメンバーが疲れたときなどに車椅子を押すことを代わろうという余裕はなかったし、私には車椅子の押し方も分からなかった。
二日三日と経つうちに、体もなれて行き、足腰の痛みがなくなって歩くことにほとんど疲れを感じなくなった。そしてメンバーと歩きながら話をし、お互いのことが分かるようになってくると、自分から車椅子を押すことを申し出たり、相手から介助を頼まれるようになってきた。そして実際に介助をすることで、介助とは予想以上に体力を使うことだと分かった。また、なれない私の介助にも、どなたも丁寧に手順を教えてくれ、介助される側の方の気遣いに恐縮した。同時に、はっきりと「どうしたいから、こうしてほしい」という指示があることに驚いた。そしてそれは、自分から何かあれば言ってくれるという安心感でもあった。
そして、自分のペースを考えながらも、自発的に今すべきことが少し見え始めたころ、トライの半ばをすぎていた。そして最終日はすぐにやってきた。
6日間歩き続けて、とても大きな感動があった。頭で考えることよりも、体で学ぶことが多く、あまり言葉にはしにくいのだけれど、自分でも忘れかけていた、具体的な目標に向かって熱くなって頑張ること、仲間と協力すること、助けてもらうことを毎日体験した。そこには、「障碍」も「健常」もなかった。けれど、車椅子での生活には、日常的に障碍が常にあることが一緒にすごしているとわかった。
雨で天気が優れなかったときのこと。自分の足で歩く私にとっては、小雨で涼しいくらいが都合が良く快調に歩くことができたが、車椅子の人たちは、「寒い」と震え、電動車椅子は濡れて動かなくなった。少し考えれば想像がついたことだったが、私には目の前に起こるまで分からないことだった。
自分の考え方や体験の偏りや、現実や理想を見直す瞬間がたくさんあり、そのたびに「障碍」と「健常」の考え方も揺らいだ。その揺らぎは、今も揺らいだままだ。けれど、体験として今までと違う「障碍」という考え方が残った。それはいつか優しさや思いやりなどを考える前に、当たり前の隣人への配慮の一つとして、自分の行動にあらわれたらと良いと思う。

KY.

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ぼくは夏休みにトライにさんかしました。ぼくは何回もかんこくに行ったことがあります。ほんとうはTといっしょになりたかったけどだめになりました。ぼくはでんどう車いすがこわれた人をおしたりして、ちょっと疲れたけどおもしろかったです。かんこくがなぜすきかというと、からいものもすきだし、ともだちもいるし、むんさんもいるからです。またかんこくに行きたいです。
T.K.

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今年の一月。事務所内の会議で今年の年間スケジュールを立てていた時のことです。
「今年の8月〜9月にかけて、6年前のRe:TRYということで韓国野宿旅をします。」とトライ実行委員のE氏。
続けて、「Kちゃん、行こうね?ていうか行くんだからね!」の言葉。
・・・嫌な予感がしていました。このままではこの無謀なイベントに連れて行かれる。
そう思いました。
それまで私は海外に行ったことも無く、アウトドアは苦手だったので、自分の人生で野宿などあり得ないと思っていました。その後の準備などを進めていく中で、トライの趣旨に共感し興味を持ったものの、自分がどこまで付いていけるのか自信が無く、初めの数ヶ月は参加を誘われる度にあやふやな返事を繰り返していました。

実際、韓国に行くまで期待以上に不安が大きかったのですが、終わってみて最初に思ったこと、それは「行って良かった」ということです。
雨の中を凍えながら歩いたこと、一日22km歩いて疲れ果てたこと、トライ中の全ての出来事を「仲間が頑張っているから自分も頑張ろう」という気持ちで乗り切ることができ、すべて忘れられない思い出となっています。

トライが終了し、自分の心境で明らかに変化したと思うことは「好奇心」です。
今までの自分は、挑戦する前に妥協してしまうことが多く、いつの間にか、新しいことを知ろうとしたり、興味を持ったことを追求しようとする気持ちが少なくなっていました。
それが、仲間たちと協力し最後まで乗り切れたことで自信がつき、たくさんの人たちとの出会いに刺激を受け、色々なことに「もっと知りたい!自分も挑戦してみたい!」という好奇心が沸くようになりました。

今回のトライは、自分を試すという意味合いも強かったです。でも、自分が参加しトライで得たものを社会にどう還元できるのかを考えた時に、それはこの活動をたくさんの人に伝えていくことだと思いました。

何事にも挑戦しようとする気持ちは持ちつつ、でもトライに参加する前の不安で一杯だった気持ちも忘れることなく、今回の自分の体験が今後自立を目指している人の励みに少しでもなれば・・・と思います。

最後に、様々な形で協力してくださった全ての方々に感謝します。
ありがとうございました。

K.K.

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正立会館の夜
N.N.

『2007 ASIA TRY』 全9コースの中でも、最も過酷な、サバイバルコースに体調不良のまま参加してしまい、9月2日のTRYゴールの日には体力の限界を超えてしまいました。しかし、その夜打ち上げパーティーが終わり、宿泊先である正立会館講堂のリノタイルの上で寝転がっていても、なかなか寝付けず、一服でもしようかと外に出ました。
廊下や喫煙コーナーでは、4、5人程のグループが数組、あるグループは静かに語り合い、あるグループは談笑したりと、それぞれ日付が変わろうかという時刻になっても、TRYでの出来事を話し合っていました。
韓国語、英語、日本語、様々な言葉が聞こえてきました。
私も韓国人スタッフの優しさや、韓国田園の美しさなど思い出しつつ煙草を吸い終え、寝床のある講堂に戻ると、そこにはTRY期間中に見慣れた光景がありました。障害の有無、男女の性別、年齢、国家、民族、様々な異なる人々が雑魚寝をして、熟睡しているという光景です。様々な人々が一つの運動を一緒に行動し、夜は一つの場所で雑魚寝をしている姿は、おおげさかも知れませんが、長年国際政治が求めながらも実現出来ないでいる、平和協調社会を体現しているようにも見えました。
TRYが終わり、参加者も日常生活に戻り、障害の有無に関わらず、不安や不満、心配事等を抱えながら日々を送る事になると思います。
正立会館での安寧満ちた雑魚寝の光景が、まるで夢のように思える日々。しかし、TRYが与えてくれた感動や達成感は、挫けそうな心を支えてくれる。そんな宝物になってくれる。そう確信しながら、再び眠りに付きました。何よりも、TRYに協力協賛してくれた方々に感謝しつつ。

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TRY感想文
K.W.

初めて韓国旅行のことを聞いたのは事務所のWさんが韓国の下見にいったらしくて事務所の人たちに行こう!と誘われたけど、いつの間にかその話が無くなりました。
今年に入って5月頃事務所に行ったら、急に夏に韓国に行くから一緒に行こうと誘われました。その頃、体が大丈夫かと韓国行きを迷っていた頃、TRYの会議にちょくちょく行っていた時に大阪の人に「事故にあった時一回死んでいる命だと思えば怖いものはないね」など言われたり、僕より重度の人たちも行く事や六年前にTRYに参加した人たちの話を聞いて面白そうだったので、参加することに決めました。
準備はいろいろ大変だったけど、いろいろな人が協力してくれて、何とか間に合いました。
飛行機は狭かった。韓国人は優しくて、ビラ配りをしても日本の場合は日本人は素通りしたが韓国人は受け取ってくれた。
僕のコースは人数が一番多くて時間が押せ押せでした。子供たちもうるさかったです。もっと人数を分けたほうが良かったと思います。
TRY最終日みんなが合流してからゴールしました。そして、みんなで喜び合いました。
TRYは結構面白かったし、海外旅行は初めてだったので自信になって良かったと思います。

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ASIA TRY 2007 反省文
N.H.

 以前から友人よりTRYについて話を聞いてきたこともあり、今回のTRYの企画が持ち上がったときに参加したいとすぐに思いました。しかし、職場の勤務体制もあり、なかなか参加を決断する(許可をもらう)までに時間がかかりました。参加が決まり、打ち合わせに参加する中で、自分がCILや自立運動に対する無知さを痛感しながらも、TRYというイベントが障害者も健常者も一参加者であることや、アジア地域での障害者の福祉向上(自立生活)を訴えるなどの趣旨が自分のTRYへの参加意欲となりました。
今回は1週間ということもあり、社会人である自分も休みを使って参加できたりと、参加するためのハードルが低かったために、参加人数も膨らんだのではないかと思います。しかし、そのため参加者の中には観光気分の人、本来の趣旨である自立生活を真剣に考えている人…と参加意識に落差を感じました。実際に私自身が一参加者としての意識があり、ただ単純に介助者としての立場でないという意識がありましたが、おのずと障害者とその介助者という立場であるとの見られ方をされる状況に、本来の参加趣旨とTRYの意義と実際の現実のギャップに悩み考えさせられる日々でした。
今回、私自身が勉強不足(CILや自立運動)であった点もありながら参加できたのは、企画段階から参加するためのレベルを下げていただいたからかな?と思います。しかし、今回のTRYに参加して、やはり参加意識の高いレベルでの統一(及び向上)を図らなければ、本来のTRYの意義が薄れてしまうのかな?と感じました。また逆に、今回のように広く参加者を募る企画とするならば、障害者と慣れた専属介助者での参加も広範囲で認めることで参加者(障害者と介助者)を募るという初期段階で参加ハードルをもう一段下げるのもありかな?と思われました。どのレベルでの統一にしろ、参加意識の統一は企画段階からの必須事項ではないかと感じました。
今回TRYに参加できたことは貴重な体験となりました。イベントのすべての協力者に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

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ASIA-TRY-2007
K.K.

二年近く前に車椅子業者で出会ったEさん。
当時は海外に強い関心があり、ただ在宅での生活基盤さえ整っていなかった自分にとって、Eちゃんから直接耳にした前回のトライ体験、その後の自立への話は衝撃であり笑撃でありました。

トライの醍醐味をいつか体感するんだと意気込んでいた矢先、思ったより早くそのチャンスは巡ってきました。

自立を訴え日によっては雨降りしきるなかで歩き通し、床にマットを敷いての寝泊まりは思った以上の疲労がありました。それゆえ、道中仲間とのコミュニケーションがうまくいかないと感じた場面もありました。が、つらいばかりでなく、宿泊地に着いてから仲間と食べに出た店での食事は格別でした。マッコリ飲んで疲れさえも心地良いものに。暗い中歩き続け、大人数で押しかけた焼き肉屋の豚カルビや、他チームと合流し感動の中食べたプルコギ。どれもすばらしいものでした☆

と、食べ物話も程ほどに・・・

現地では電動車椅子などの機器トラブルもありましたし、介助のYさんはじめ多くの仲間に助けられながら自分の体力配分・回復に努めるなか、仲間に対してできたことなど正直数えるほどもなかったでしょう。ただ、その中での自分の居る位置、役割がなにであるかを真剣に考える機会をもらいました。―韓国から見る、日本で制度を利用し生活する自分の位置や役割であったりも。
「自立」に対するその国の現実はまだ厳しいもので(特に難病者にとって)、制度的にあたたかい日本で親元で暮らす自分にとって自立を目指すこと伝えることの意味を良い意味で再確認させられたように思います。
そんな日本であっても、この旅への参加にあたりひじょ〜に多くの壁がありました。病院の協力を得るにも条件と出来ないことをはっきり伝えられ難航し、またある方には無謀な計画であり親不孝以外のなにものでもないと諭されました。それを跳ね返すだけの具体的な準備策も意義を伝えることも充分にできず、持ち前のポジティブが折れそうにもなりました。ただ同行介助者の確保も日程が押す中なんとか決まるころには、それらは壁というよりむしろ必要な作業であり修行でもあり心理的な未熟さの目立つ自分には必然だったと感じ、取り巻くすべて感謝する気持ちで旅に望めました☆

さいごに、家族友人彼女、病院、車椅子業者、募金など応援協力関係者各位さま、声を掛けてくれたEちゃんと全ての参加者、介助としてもメンバーとしても熱く最大限動き回って頂いたYさん、同行をやむ得ず断念しながらも応援してくれた友人、今回の旅に関わるすべての仲間に感謝の意を述べたいと思います!

  1. カムサハムニダ☆

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2007 ASIA TRYに参加して
I.M.

ここの事務所に来なかったら、決して経験する事がなかっただろうと思うTRY。
海外で野宿?一生かかってもない事だろう・・・そう思って私の中で参加することは、ほぼ即決でした。
募金も声を出すまでは恥ずかしかったけど、出してしまえばストレス発散(?)にもなり、そこのあなたに言ってるんだよ!!って感じで、大声を出していました。
暑くても募金をしてくれる人がいると、またがんばろう!という気持ちになりました。事前の心配も行ってみれば、それ程でもなくて、シャワーがなかろうが、寝る時間が少なかろうが普段の生活ではありえない事も、どうってことなかったです。(言い過ぎか?)
インチョンコースは、天気に恵まれ、ごはんもおいしかったです。
わりと順調に進んたけど最後に、おーっTRYか!?って、事もあり個人的には、その雰囲気にワクワクしちゃったけれど、(他人事?じゃないのに・・・)
中心メンバーのみなさん、お疲れ様でした。泣きそうでした。感動の瞬間でしたね。ワーッってみんなで抱き合うのとかいいなあって思ったり・・・勢いでやっちゃえ〜とはいかなかったけれど、あこがれます・・・そういうの。コースのみんなとも、もう少し一緒にいたかったなあ。
そしてTさん、ゴールしてからが本当のTRYだったでしょうか?お役に立てなくて本当に申し訳ありませんでした。韓国語が話せたら・・・と強く思った瞬間でした。国内でも自分から進んで話しかける方ではないのに、韓国語がわからないから、ますます無口になってしまいました・・・がそれでも韓国語が通じると、行った国の言葉で話しが出来るっていいなあって思いました。
もっとその国の言葉が話せたらなあ、聴覚障害の人と手話で話せたらなあ・・・と、感じているだけで、そのための一歩が踏み出せないでいるのですが、きっと世界が違うんじゃないかと思います。
荷物は伴走車に積んだけど、本当はこんなに楽じゃないだろうなあ、とか野宿したかったなあ、とか最後の最後で飛行機が落ちて死ぬのか・・・という恐怖など、色々ありました。
今回、子供にも経験させたいと思い、TRYに誘いましたが連れて来なければ良かったかなあ・・・と思ったりする事もありました。でも終わってみて、やっぱり連れて行って良かったという気持ちです。
日に日に仲良く遊び始める子供達を見て、その適応力にいいなあ〜と思いました。一生に一度の事だと思っていたけど、また参加するかも・・・いや、参加したいです。

最後に、参加したくても自分の気持ちだけでは、できなかったと思います。留守を守ってくれた家族に感謝です、ありがとう。

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TRY感想文
H.Y.

歩いているときは、この電動車椅子が重いんだよぉ、朝は眠いんだよぉ、とブーブー言いながらいっぱいいっぱいで動いていたくせに、最終日には、もう1週間のおかわりを!と思うTRYでした。
といいますのも、さまざまなものをそぎ落とした「人」という味わいをちょっとだけ覚えたからかもしれません。

準備段階から専従介助者として参加しているうちに、この「介助者」という役割がTRYに似つかわしくないと思うようになりました。

CILの介助者として過ごす日々は、「利用者」と「介助者」ありき。この距離感、役割に気を遣います。そこを間違えてしまうとお互いに長くは付き合っていけない。しかし、このTRY、いささかこの重要な役割分担という前提がおかしいような……。CILの団体が主催するイベントにCILの利用者がCILの介助者を連れて参加する。なのに、なぜこのポイントに違和感を覚えるの……!?

  ぼくが付いた利用者は筋ジスの要全介助者。人工呼吸器も使用しているから、朝起きてから夜眠りに就くまで、いや、寝てからも、気兼ねなく頼める介助者がいたほうが楽なはず。
ぼくもそのつもりで、当初は彼の体調急変など最悪の場合の対応から逆算し、どうやって彼の健康を害さずに責任ある8日間の24時間介助を自分も倒れることなく全うできるか、そればかり考えていました。

そして、TRY参加に当たり環境が許さずに涙を呑んだ友人たちがいます。人工呼吸器ユーザーだって、電源と介助者がいればTRYを味わえるのだ!彼らを阻んだ人たちに向かってどうしても見返してやりたかった。そのためにも自分の利用者が重度化することなく笑って帰国させてやるんだ、と気負っていました。

そういうのも大切よ。
でも、なんか違うらしい。

幸か不幸か、ぼくの利用者はTRYを貪欲に実践しようとしてくれる人でした。そして東大和のTRY経験者は、介助者として振る舞おうとしているぼくに「自分の言葉」を求めてきました。なので彼らは、韓国に着く前からぼくを通常の介助者としてはみなさず、いち個人としてお互いに尊重し合ったかたちでありつつ、自分の言葉で言いたいことを言い合い、のびのびと準備、本番に当たらせてくれようとしたのです。戸惑ったのはぼくのほうで、これは介助者として職責放棄にならないだろうか?なんて考えるほど。介助者として腹を据えているつもりではいましたが、「人」として腹を据えてはいなかったようです。

そして、彼らのしようとせんことをなんとなくわかりかけて突入した本番。

しかし、実際本番に入れば、障害者も介助者もメンバー同士の交流をする暇もなく自分たちのことで手一杯。障害者は障害者として疲れ、介助者は介助者として疲れ、まとめ役はまとめ役で疲れ、そして、いくつかの問題が起こったとき、やっとお互いの役割を超えた「自分たちの言葉」で向かい合うことができたのが5日目。ようやく福祉制度の枠に収まっていた日常が消え、これから!というときにゴールのソウルに着いてしまいました。
手の空いたものが手を必要としているものに手を伸ばし、手を休めたいものがいれば手を休めていたものが代わりをする。話しをしたい人のところへかけより、話しを聞きたい人のそばで耳を傾ける。意見が違えば議論し、面白ければ笑う。5日目以降に見られた光景。誰が誰に属しているわけでもなく、誰もが誰かに属している。

「○○さんの利用者」「○○さんの介助者」にとらわれていたらそのようには動けない。

狭義的福祉の範疇では味わえない連帯感。

医療的ケアの訓練を受けた介助者が必要な人でもTRYはまるごと受け入れてくれました。でも、TRYをよりよく味わうためには、利用者も介助者もその役割を突き放し、自分自身をそしてお互いを「人」として見直せるかが大切なのだということを実感しました。自分でお金を募り、歩き、ともにご飯を食べ、寝袋にくるまり、雑魚寝して、自分の言葉で語るという過程は、「人」を抽出する効果的な作業なのですね。そして改めて搾り出される「自分にとっての役割」。今何ができる?自覚される自己責任。そこから生まれる「人」としての対等な気持ち。

TRYというのは、障害がある人たちとともに歩くといっても「障害者福祉」なんて枠には収まらないようです。「障害当事者」だとか「介助当事者」だとかという福祉制度で確立された便利な役割を突き放し、社会的役割や責任という装飾を、ひとりの「人」になるまでどんどん削いでいってしまう。

「○○『当事者』」なんて肩書き関係ない。
あなたもわたしも「人」でしょ?!
そのあなた(わたし)がどうするの?!

それがTRYの味。

なかなかどうして、口当たりはピリッと辛口ながらも、舌の上でとろけて、喉越しは甘美でございました。

けっきょくお給金を頂く立場。「介助者」という看板を純粋に降ろすことはできませんでしたが、それでも、この味を口にする機会を得られたことに、感謝。

これが味わえただけでも来れてよかった。
そしてなにより、参加した全員が歩き通し帰国できたこと。アジアの仲間にも地域での生活を!と言いながら、自分が道端で倒れては説得力も何もない。自分の責任でみんなと歩いて生き抜く。まず1週間。これが達成できたのですもの。これを少しずつ拡げていければいつかは!なんて強く思う。
だから味をしめて、おかわりしたくなっちゃったりもするわけです。

あぁ、今では、午前3時半、右にLTV、左にBiPAP Harmonyの呼吸音を聞きながらやっとの眠りに就けたあの時間が恋しいです……(というのはちょっと嘘)

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ASIA TRY 2007を終えて
E.H.

 「日韓TRY2001」同窓会企画から発展した今回の2007 ASIA TRY in KOREA。結局規模はアジア各国にまで広がった大規模なイベント事業として動き出しました。
今回、東京メンバー26名のうち、私を含め2人以外は全員TRY初経験でした。まずは、その全員が無事に帰国できたことにほっとしています。気管切開している人やマスク式呼吸機使用者が、海外でソフト野宿する前例は、まずなかったでしょう。他にも、初海外だった人もたくさんいて、みんな、文字通り、このTRYにTRYしたことに対して、拍手を送りたいと思います。

代表という立場でありながらも、みんなが一丸となって取り組まなければTRYは成功しない訳で、どうやって全員で足並みを揃え、ペースを作っていくか、ということに随分気を遣いました。

「資金を作りつつ、TRYを周囲の人に認知してもらうため、そして、自分の中でモチベーションをあげながらTRY参加への意味を自分の言葉で伝えていけるようになるために、TRYTシャツをひとり50枚、買い取って売りましょう。」と言った時のメンバーからの大反発。 企業まわりをしても、TRYの業績や効果というものが形に残っていない、ということでなかなか賛同を得られない現実。 国や地域を越えた打ち合わせの際の、価値観の違いで些細なことでもめる時間。

しかし、私が今回のTRYで一番考えさせられたのは「介助者」を付けるということでした。
今までのTRYは、とにかくみんなで助け合う、がポリシー。
誰もが地域の中で地域の人たちとふれあいながら生活できる環境作りを訴えよう、そのためにはまず、TRYメンバーの中でお互いを良く知り合おう、という理念があるわけです。自分専属の介助者にばかり介助をお願いしていたら、周囲の人に本当に自分の障害を含めた生活を分かってもらえるのか??ということです。だから、「不安だから慣れた人に“介助者”としてTRYに参加してもらおう」とか「介助に慣れた人を同じコースに」という考えには到底賛成できませんでした。

でも、「それはダメです。」と言い切ってしまったら「TRYには参加できません」という人が続出しそうでした。
きっと20年前からTRYをやってきた元祖メンバーの方達に言わせれば、「そんな程度の気持ちの人には参加してもらわなくていい」と言われるかもしれません。でも、私は、最初の条件で参加できる人を限ってしまうのではなく、まずはいろんな人に経験してほしかった。一度経験さえすれば絶対みんなTRYの意義を分かってくれるはず!と信じていたし、そういうTRYにしたい!と思っていたからです。
今回は先述の通り、かなり重度の障害の人もいて、他人がいきなり介助してぴったりうまくいくのはかなり難しく、誰もが介助できるか、と言うと限界があった。かと言って「じゃ、誰とでもやっていける人しかTRYに参加できないのか」と言ったらそんなはずはない訳で。どうしても最低限の「介助者」は必要でした。
でも…
「介助」をするために一緒に韓国に行く人が、私たちの過酷なTRYについてこられるのか。一緒に盛り上がれるのか。私たちはその「介助者」とどう関わればいいのか。一緒に歩く人にはみんな、ある程度TRYへのモチベーションを高めて楽しみながら参加してほしいけど「介助者」にそれを求めるのはいけないのか。…と、私の中での不安は尽きませんでした。

障害者は、「介助という労働」に対する対価を支払うことで「介助者」とある程度対等な立場を確立しました。
でも、TRYは真逆。敢えて無償。なのに、普段より強く感じる連帯感と対等感。なぜでしょう。

2回のTRYを通じで感じたのは、無償の方が、本気で言いたいことを言い合えるのではないかということです。お金を介していると、どこかで「障害者に雇われてる」感が存在し、言いたいことを飲み込んでしまうことがあります。しかし、無償で付き合うときは、例えば疲れきっているところに何か頼まれれば「今疲れてるから動きたくない」と言えたり、障害者に依存されそうな時に「たまには他の人に声かけてよ」と思い切って突き放したりできます。
障害者メンバーだって、手のあいている人/体力に余裕のある人を探したり、タイミングを見計らったり、どうしても疲れきっている人にお願いしないといけない時には少しでも気を遣いながら必要最低限の介助を考えたりと、それなりに、メンバー達とうまい関係を継続させるために頭と心を遣います。さらには、自分には何ができるんだろう、と自分なりの役割を考えたりし始める。
そして全部が自己責任。

それって、ある意味「対等」ではないでしょうか。

「介助者」「利用者」として対等なのではなく、「人」として対等だと思うのです。そしてそういう状況は、ヘルパー制度がある程度確立してしまった今、なかなか経験できません。
その貴重な場に「介助者」を入れていくということに対する不安。
理想と現実の狭間でぐるぐると頭をめぐる葛藤。恐らく、TRYを一度でも経験していたからこそ感じた、そんな諸々の葛藤にずっと押しつぶされそうな半年間でした。

しかし、実際は、そんなに懸念するほどのことでもありませんでした。専従介助者という立場での参加者も、同じように盛り上がってくれて、コースメンバーにとってはかけがえのない存在でした。中には、TRYがどういうイベントなのか、ようやく理解できたのはゴール前日、という人もいましたが、終わってしまう前にTRYを理解してくれたことが私にとっては、とても嬉しかった…。

一方で、障害者メンバーの中には、普段の「介助者」を使う感覚を拭いきれなかった人も多かったようです。自分から積極的に動いていかない。慣れた人にしか介助を頼まない。他の人を知ろう、という意識が低い…。
…そういう意味でも、やっぱり1週間のTRYでは限界があるんだなぁ、と感じました。社会が変われば変わるほど、TRYの理念を貫いていくことが難しくなっていくのかもしれません。

「介助者」という立場が悪いものだとは思いません。障害を持っている人が安定した生活を送るためには絶対に必要なシステムです。しかし最近は単に制度上、便宜的に割り振られた「介助者」「利用者」という立場が、本来の「人」としての役割・生き甲斐を見失わせている気がしてならないのです。「すべての人が “自分の役割” を担える社会にしたい!」健常でも障害があっても、お互いにその気持ちがあって初めて、その上にひとつの役割として「介助」が成り立つのだと思うのです。その根底にある気持ちだけは、絶対に変えてはいけないと思うのです。そして、それを伝え続け、再確認できるもっとも効果のある方法がTRYだと、信じています。TRYさいこ〜!

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ASIA TRY 2007 in Koreaに参加して
I.M.

 今回のASIA TRYへの参加は、私にとって2回目のTRYでした。前回は日韓初共催の日韓トライ2001で、それから6年の月日がたっていました。1度経験しTRYの魅力≠肌で知っているだけに、参加の可能性があるのなら逃したくないと正直なところ思いました。体力的には厳しいものがあるとは思ったのですが、そこは何とでもなるだろうと自分に言い聞かせました。ここで改めて初心にかえるという意味でも、また同時に日常の生活では経験できない体験をしたいという気持ちがどんどんふくれあがりました。反面、職場は自立支援法の影響で人員体制も薄く、まとまった休みを取るのは容易ではなく、むしろ困難なことでした。前年度からそのための体制作りを上司に懇願し、1週間の休みを取りつけ、協力体制が整うよう各方面へ調整し、何とか目途がついた時点でやっと参加が本決まりに。寝袋を新調して準備も整いました。

 旅の最初のハードルは韓国行きの飛行機の搭乗でした。事前に車椅子の台数やサイズは伝えてあるのに、また1から測りなおしたり用紙に記入したりしているうちに時間が過ぎ、飛行機が動きだした時には離陸予定時刻を1時間は経過していました。事務手続きが煩雑になるのであれば、前もって人員を増やして対応するなりということができたように思います。

 前回のTRYでは、障害をもった当事者だけの会議というものが旅のあいだに何度かありました。その際、中心となって進行している人が全員に意見を求めていたのですが、知的障害をもった青年は自分の意見を表現できないままに、ただただ天井を見上げていました。その場面がとても印象に色濃く残り、彼にも自分の意見があるのではないだろうか‥、彼にわかるように伝えるにはどんな関わりがいるのだろうか‥など、その後も考えることが多くありました。そのことが少なからず就職活動への方向付けとなり、現在までの約6年間 知的障害者授産施設で支援員の職についています。1人1人の意思を尊重しながら共に仕事に励む日々です。

 私の参加したコース仁川(インチョン)コース≠ヘ子どもが多く参加していました。メンバーの中に小学生くらいの自閉症の女の子が1人いました。そのたびにちがう場所での食事に、宿泊地も様々で時間の見通しもただず、しかも初めての場所。そしてよく知った人もいないメンバーとの日々は、明らかに彼女の許容量を超えていました。ハードなスケジュールと疲労で、パニックになり奇声をあげてしまうこともしばしば。そのたびに韓国メンバーが抱きしめたり頭をなでたりとボディータッチをしていました。また商店などではお店の商品をもってきてしまうので、そのつど韓国メンバーがお金を払っていました。彼女にとって今回のTRYがどんな経験となったのかはわかりませんが、何を感じたのか、想像の域を超えません。でも1週間を共に過ごして感じたのは、彼女自身が社会の中で生きていくうえで伝えておかなければいけないことは、小さいころから伝えることが必要ではないかということでした。ただ韓国の街のなかで、知的障害をもった人を見かけることはほぼなかったように思います。仁川コースは知的障害者施設に宿泊することが2回ありました。どちらも街からは離れた山の中にあり、家の人が車で送り迎えしているのを目にしました。まだ住み分けがされている状態だという印象を強く受けました。実際、韓国の国の制度に知的障害という分類はないそうです。身体障害は細かく分類分けされ、制度も整ってきているけれど、知的障害は精神障害の中に含まれているということでした。まずは知的障害への理解を世間に広めることが、受容につながり、いずれは彼女が生きやすい社会に近づけるのではないかと思いました。

 今回いちばん苦悩したのは、1週間という期間のなかでいかにTRYらしさをだしていくのかということでした。日本人・韓国人・マレーシア人がまずはお互いを知ることに前半をついやしました。どうコミュニケーションをとったらいいのだろうという戸惑いから始まり、顔と名前を覚え、会話を交わしながら歩くうちに少しずつ距離が狭まり始めたのは、もう残すところあと数日という段階でした。せっかくTRYなのだから待ち行く人にアピールしなくてはと、歩きながら声を合わせて叫ぶフレーズを韓国語でなんと言うか聞きウリド ジオゲソ サルス イッスムニダァ=i私たちも地域で暮らしたい)と、皆で暗記して大声で訴えたり、ビラを用意しジャンジャン配ったりしました。ただ何事も共通見解のもと話を進めるのに言語がちがうことでのじれったさがつきまといました。流暢に通訳できる人は誰一人いない状況だったので、伝えたいこと・伝えるべきことを伝えるため、気づくと片言の英語・韓国語とボディランゲージ・日本語を駆使してあいだに入ることが多くなりました。国によっても個人によっても感覚が違い、ましてやTRYの捉え方やそれぞれのモチベーションも違う。また実行委員はコースを進めることに追われているという状況。そんな中、意図するところを伝え、その理由や目的まで理解してもらうことの困難さを強く痛感する日々でした。前回のTRYでは中心となった日本と韓国の青年が毎晩おそくまで話し合っていたり、運営はDPIに担ってもらっていたことを思い出し、いろんな人の苦悩・支えがあったからこそ充実したイベントになってたんだと今更ながら気づかされました。そのうちに実際に体で表現するうちに感じてもらおうとも思うようになりました。言葉ができるにこしたことはないのですけどが‥。

 駅などの環境面は、6年前よりはるかに整備されてきているのを感じました。リフトやエレベーターの数が以前より増えていました。ただなぜか韓国のエレベーターやリフトはとにかく時間がかかります。エレベーターの開け閉めに扉が1分は開いたままで、じっと待つ人々。リフトも片道6〜7分はかかってしまうスローペース。私たちのコースは車椅子10台ということで、全員地上に出るには1時間は越えてしまうので、軽い車椅子は人力で上げることにしました。駅員さん中心に通りがかりの人なども巻き込み持ち上げてもらいました。その状況を目で見て、肌で感じることに意義があると思うので、肩で息する駅員さんを目前に、今後の環境整備を願いました。また、仁川市では街のバリアーチェックをまとめた要望書を役所にもっていくと、すんなり改善の約束を取りつけることができました。数年前まで家に閉じこもっていたという青年が代表で要望書を提出し、その後CILの方たちといっしょに人の多い街頭でビラを配りつつ声を出しました。実際のアピール行動を共に行うことで、その手段や方法を伝えることが、今回のASIA TRYの意義のひとつであると思いました。今回のTRYがASIAの国々へ技術やエネルギーの伝達の機会となれば、限りない可能性につながっていくということを感じました。

1ヶ月間のTRYを経験したからこそ言えるのだと思うのですが、1週間という期間はTRYがTRYらしくなる土台ができた時点で終わってしまう様で、とても惜しいものがありました。メンバーの団結力があがり、ひとりひとりが自分の役割をもち、地域の人とふれあう時間ももてる。それだけの時間や準備があってこそ、濃いTRYになるのだと、改めて痛感しました。ただ前回と変わらず、いい出会いが数多くあったということが、TRYの何よりの魅力だと思います。つながりをひろげることがTRYの何よりの良さだと思うので。

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半年をかけて準備を進めてきた2007 AISA TRY が終了しました。

 思えば、2年前の夏、我がセンターで初めての外泊プログラムを愛知万博に合わせて企画、このプログラムに参加してから、めきめきと変わっていき始めたK君らを見るについて、あの企画は大成功だったね!と自画自賛していた私たちは、次はやるんだったら海外もん・・・!と密かに思いは海を越えていました。
今年、DPI世界会議が韓国で開かれる年でもあり、それに合わせて、ソウルCIL、西宮のメインストリーム協会と東大和でトライをやることがとんとん拍子で決まっていきました。

 こんなヒヨッコCILで海外プログラム・・・無事に成功したらセンターの歴史を華々しく飾るだろう・・もっともっと私たちの自信にもなるだろう・・・私個人の思いとしては、人生の中で野宿なんて、やろうとも出来るとも思ってなかったこと、こんな機会でもなければまずないな・・・と、初めは怖いもの見たさのような期待感で胸が膨らんでいました。
しかし、東大和の利用者さんだけでなく、この企画に多くの障害の仲間が興味を持ち参加の輪が拡がってくると、手放しに面白がってばかりいられなくなってきました。
参加する9名の障害者のうち、ベンチレーターユーザーが3名も!!
センタースタッフでトライ東京代表はユーザーとは言え、世界を駆け回るパワフルな人!海外も野宿も(?)手馴れたものでしょうが、海外初!の人も多く、それに今年の夏は酷暑という表現がピッタリの暑い夏だったので、韓国だって暑いに決まってるわ・・そんな炎天下に歩くなんて・・みんな大丈夫だろうか・・と段々と不安が膨らんできました。

 海外初体験の人にしてみれば飛行機に乗ることだけで精一杯だろうし、一週間も日本を離れ、ましてや非日常をなんとか無事に帰ってこれればそれで良し!と考えていたので、宿泊場所やトイレの事など、結構ギリギリまでのんびりムードだった韓国にせっせとメールで情報提供のお願いしたりしてました。今にしてみれば参加者の不安を取り除く為と言いつつも、実は自分の不安もかき消す作業だったのかもしれませんけど・・・。

 それは、これまでのトライの本来の目的とはかけ離れた事であったのでしょう。センターの中でも、トライに対する思いの違いなど様々な意見の衝突や考えの食い違いなどもあり、トライに向けて心を一つにしていけるのだろうかと出発直前まで悩んだりもしました。

 しかし、そんな紆余曲折にもめげず、トライを歩ききり、疲れ果ててはいたものの、行って良かった!次のトライがあったら又参加したいよ!との感想を聞いた時、これまでの困難な出来事はどこかへ飛んでいってしまうくらい嬉しくて、こみ上げてくるものを堪えることができませんでした。
今回のトライは一週間と短いものでしたが、歩くという行動は外に向けたアピールではなく、むしろ自分自身の目標に向かっていくことであり、チャレンジであったこと。苦楽を共にした仲間との連帯感を含めて、ゴールした時の達成感と充実感、安堵の気持ちは参加者全員が味わった感覚だったに違いありません・・・
11カ国200人にも及ぶ仲間たちとの出会いも忘れられません。私を含めひとりひとりの心に刻まれ、これからのかけがえのない糧となり、来るべき困難に立ち向かうときはパワーとなり、私たちを守ってくれるでしょう・・・・。

 私たちがこうして、無事トライを終えることが出来たのも、何より東大和のスタッフがいてくれたからこそ。募金やTシャツ販売など、様々な形でのたくさんの協力と応援があったからこそ。
感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。
T.N.

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