インコ
自立生活センター東大和へようこそ

新理事長挨拶

この度、NPO法人自立生活センター東大和の理事長が交代いたしました。皆様へご挨拶させていただきます。

『理事長就任にあたって』
この7月から新しく理事長に就任いたしました、海老原 宏美です。
自立生活センター東大和がNPO法人格をとって以来、お忙しいことを承知で多智さんにずっと理事長をお願いしてまいりました。そして、実際になかなかCILの業務に関わってもらう時間を取っていただくことが難しく、実際のところは事務局長の田渕さんに、理事長の役割をかねた、大きな責任とプレッシャーを一手に請け負っていただいてきました。そのおかげで、その間、私は自由奔放に、やりたいことをさせていただき、外部のセミナー参加や地域でのネットワーク作りを通して、人脈を作ったり、いろいろな経験をつむことに随分時間を割けたわけです。多智さん、田渕さんには本当に感謝をしております。今後は、今までの経験を通して得たものを生かせるよう、そして田渕さんの今までの負担を少しでも肩代わりできるように、そして、どんな障害を持っている人でも地域で当たり前の生活を送れる社会にしていけるよう努力していきたいと思っています。


『CILにかける思い』

そもそも、私が初めてCILを知ったのは、1993年の夏、兵庫県西宮市にある自立生活センター「メインストリーム協会」主催の「障害者甲子園」に参加したときです。全国から集まった障害を持つ高校生と、関西の普通校に通う「普通な」高校生と交流をしながらすごした障害者甲子園は、それまで親や先生など、大人に依存しがちだった私の生活を確かに変えました。さらに大学を卒業した後、就職もせずにぷらぷらしていた私に、野宿しながら韓国を歩いて縦断するバリアフリー運動の旅「日韓TRY2001」の実行委員のお誘いをかけてもらい、またもや人生を変えるきっかけを与えてもらいました。

そんな、自立生活センターというものとのかかわりを通して、自分も同じように、自分の体験を通して、障害を持つ人の生活を充実したものにしていくサポートに関わってみたい、という気持ちが沸き起こるようになりました。そんな時、見学先で出会った田渕さんに「東大和にCILを新しく作ることになった。まだ重度障害者の自立の前例もない」という話を聞き、「前例がない」という部分にだけ無条件に反応した私は、2001年の夏、深く考えることもなく実家のある川崎から東大和市に移住することを決めたのです。

そこから自立生活センター東大和が設立するのとほぼ同時に、自立生活を始めて7年目。自立生活を送りながら、自立生活センターで活動をしながら、今までやってきて、思うことは沢山あります。めまぐるしく変わっていく制度、さまざまな利用者さんのタイプ、行政とのやり取り、地域とのつながり・・・。私たちはどこへ向かうのだろう。そんな素朴な疑問を抱えている最近でした。
そんな折、2月に大阪で所長セミナーが開催され、障害者運動の先駆者である近藤秀雄さんの話をじっくりお聞きする機会が与えられました。今まで、何度か障害者運動の歴史を聞いたり見たりすることはありましたが、なかなか生の声(?)で語られるものに触れる機会はなく、とても感銘を受けました。過去の先人たちが私たちに残してくれたもの。私たちが当たり前のように大阪に集まったことさえ、革命的なことだということ。今度、私たちは次の世代に何を残したいのか。何を残していくべきなのか。運動が停滞している今こそ、CILの存在意義を根本から見直し、その役割を明確にし、夢を語りながら周囲にそれを広めていかないといけない、ということ。
制度も変わりました。障害の種別も増えて複雑化しています。支援の仕方は変えていかなければならない時期かもしれません。
でも、本来の目的は変わっていないし、変えてはいけないと思います。
CILの役割。それは「人と人とをつないでいくこと」「人と社会をつないでいくこと」そして最終的には「誰もが対等な関係を築ける社会をつくること」だと、私は思っています。あえて、「障害者と健常者が」というような言葉は使いたくありません。「障害者」は「障害者」である前に「人」ですよね。障害があってもなくても、お互いに人として理解しあい、対等に付き合っていける社会を、私は作っていきたいです。そのために、ILPひとつとっても、派遣ひとつとっても、「これは、本当に人と社会をつなぐためのものになっているか?」「本当に人と人とが理解しあうためのものになっているか?」と原点に立ち戻りながら、一つ一つの活動につなげていきたいと思っています。
と、夢は大きく語ったものの、実際の業務のあれこれについては、まだまだ無知なので。しばらくは周囲の皆様に多大なご迷惑をお掛けしつつ、になると思いますが、いろいろと、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。